哲学マーケティング【前期】
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哲学マーケティング【前期】

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◆偶然か必然か 昨年11月のある日曜日、滅多にTVを見ない私が、「下町ロケット」を真剣に見入ってしまったのは、まったくの偶然です。 女房がTVドラマが大好きなのです。 日曜日はいつも外食します。たまたまその日は、外で仕事がなかったのです。 なので、その日に限っては、「下町ロケット」をつまみに、少し遅い夕食を女房とともに過ごしただけなのです。 味噌汁を啜っていると、阿部寛演じる主人公、佃社長のセリフが耳に飛び込んできたのです。 「宇宙開発があったから、人間は今、気象衛星やGPSの恩恵を受けているのだ」 偶然にも、ここ最近、まさに私はそのことをずっと考えていたのです。 だから、真剣にドラマを見るはめに・・・、いや、ずっとそのことを考えていたからこそ、そのセリフが耳にこびりついて離れなかったのかもしれません。 だとすると、それは必然です。 戦争などないほうがいい。 けれども、戦争がなかったら、インターネット技術の発展などなかったのも事実です。 完全になかった、とは言い切れませんが、少なくとも、私が生きている間に、これほどまでにITが普及・発展することはなかったはずです。 鼻水垂らせば、ティッシュペーパーで鼻をかみます。 けれど、そのティッシも、元を正せば使い捨てのフェイスタオルです。 外出から帰宅すると、私はきまって手術用の消毒液でうがいをします。 別に私が変人だからではなく、あなたもそれを一度くらいは使ったことがあると思います。 手術用消毒液として開発されたその商品は、今では「リステリン」という口臭洗浄液として市民権を得ています。 あそこ...、の元気がなくなってしまった男性が処方してもらうバイ○グラ。これとて、もともとは高血圧の治療薬です。 いずれにせよ、みんな「偶然」の副産物です。 でも、本当に全部が全部、偶然と言い切れるでしょうか? ある意味、「偶然の副産物」というのは、必然なのではないか? 偶然の副産物を生み出す必然性があるのではないか? 私が考えているのは、そういうことです。 副産物は副産物を目指して生まれてきたのでありません。 通常それは、何らかの「真理」を追い求める途中過程で、生まれているという事実です。 「真理」というのが大げさなら、みんなが納得して認識し合える「共通了解」を真剣に探求する中でしか、もたらされないのが副産物です。 逆に言うと、副産物をもたらすものは、(偶然などではなく)「共通了解」を探求するプロセスから導かれる必然であるという事実です。 これは紛れもなく、「哲学」です。 ゆえに、哲学は、「マーケティング」に使えます。 ◆マーケティングと何か? マーケティングの概念は、コトラー大先生に始まります。 そのコトラーによると、「マーケティングとは個人や集団が製品および価値の交換を通じて、そのニーズやウォンツを満たす社会的・管理的プロセスである」とされています。 頭の悪い私にはチンプンカンプンです。 なので、もっと簡単に理解しています。 まず、マーケティングの目的は、価値を交換し合ってみんなが喜べる社会を作ることだ!ということです。 少なくとも、みんなが喜べそうな共通了解を得られる状態を作り出すことです。 では、その「価値」とは何か? それは「個性」です。 自分にしか表現し得ない個性を交換し合うことで、喜びMAXにしよう!というのが、コトラー大先生に始まるマーケティングの本質だと私は考えています。 もちろん、いかにして、その「個性」をみんなで交換し合う市場に乗せるか? どのようにしたら、自分の個性を流通させることができるのか? こうしたことも重要な論点です。 ですが、自分の個性が何だかわかっていない人には、そもそもマーケティングなんて仕掛けようがないわけですよね。 だって、交換すべきものが何だかわかっていないんだから、流通させようがないんです。 ところが、面白いことに、自分の個性が何だかわかっていない人ほど、集客とかセールスとかの話が大好きです。 そういう人は、大抵が、自分の個性などにはほとんど関心がなく、一般ウケしそうな他人の個性ばかり仕入れようとします。 まことに珍奇な現象です。 マーケティングというのは、そういうことではありません。 自分の個性を自分で見つけ、それを他人様との間に共通了解を得られる程度に編集し、流通させるプロセスなんです。 もちろん、共通了解を得るのは並大抵なことではありません。 ですが、共通了解を獲得しようと努力するプロセスの中で、次々と「副産物」が生まれ、その副産物のほうにニーズやウォンツが発生してしまうというのが現実なのです。 自分の個性が何なのか?考えることを怠った人には、共通了解を得ようなどという心意気など微塵もありません。 そんな人には、マーケティングなど出来ようはずがないのは当然です。 「自分の個性とはこのことではないか?」と考え抜いた人には、共通了解への道へと進む権利が付与されます。 しかし、それでもなかなか「共通了解」へとたどり着けることは滅多にありません。 滅多にないのだけど、その途中途中で派生した「副産物」だけでメシを食っていく程度に世の中に受け入れられることは珍しいことではありません。 ◆哲学とは何か? 哲学とは、「共通了解」を作り出すツールです。 と言い切ってしまったら、その方面の先生方にお叱りを受けるでしょうか? ですが、私には、この定義づけが一番しっくりきます。 みんなが「それはそうだよね!」という共通認識に立てる状態を「言葉の力」で導き出すのが哲学者の仕事だと私は思っています。 もちろん、一人の哲学者が導き出した仮説が、本当に正しいことなのか否かはわかりません。 けれど、その哲学者が「共通了解」を獲得しようと真剣に思考を重ねた結果導き出されたものである以上、その仮説が真理であろうがなかろうが、その思考法は「副産物」には成り得ます。 実際、哲学の歴史は、こうした副産物の歴史といっても良いのではないでしょうか? 結果、私のような凡人には、「何が真理なのか?」などということは、まるで見当がつかなくても、哲学の副産物(=哲学的思考法)を道具にすることくらいはできそうです。 白くて薄くて柔らかい紙がどんどん出てくる四角い箱の正体が何なのか見当がつかなくても、鼻水が垂れてきたら、その紙を取り出してチーンとかみます。 これと同じ程度の手軽さで便利に使える道具が、哲学のもたらした数々の思考法だと思うのです。 ◆道具としての哲学 アリストテレスの存在論や、カントの認識論を知らなくても誰も困りません。 しかし、その基礎概念から派生した「カテゴリー」の意味を知らないと、ブロガーは商売にはなりません。 クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』などという珍奇な本を読んだことのある人は、相当変わった趣味をお持ちです。 ですが、そこから生み出された「ブリコラージュ」という言葉の意味を知らない企画屋を私は見たことがありません。 おおもとの思考法や原典にかかわらず、その副産物が道具として一人歩きしている良い例です。 哲学(哲学的思考法)には、それを生み出してきた哲学者の意図とはまったく無関係のところで、「使える道具」として活用されています。 たとえば、ヘーゲルの弁証法で説かれている「螺旋的発展」というキーワードなどは、今や哲学というよりはビジネス用語です。 このような、「道具」としての哲学的思考法は、すでにゴロゴロあるし、おそらく、これからもゴロゴロ出てくるものと予想します。 ◆思考の補助線としての哲学 誤解しないで欲しいのは(してないと思いますが)、私は「哲学」をまともに勉強したことなどありませんし、ほとんど何も知りません。 にもかかわらず、「哲学」を題材に企画を立てている理由は、それがとびきり優れた「思考の補助線」であるからに他なりません。 正確には、哲学的思考法という補助線です。 たとえば、マーケティングを決定づける要素としての商品・サービスの「個性」を検討する場合、その商品・サービスの内面だけを眺めていただけでは個性は生まれません。 個性というのはそのもの自体に宿るものではなく、他の商品・サービスとの対比で論ぜられるものです。 では、何をもって「個性」といえるのか? この課題をを解決する有効な思考の補助線として機能するのが、ソシュールの記号論です。 ソシュールは、「形態」と『意味』の両方を持つ言語を【記号】と呼び、それに価値があると言い切りました。 つまり、価値=形+意味です。 そして、価値とは「個性」です。 ということは、個性=形+意味となります。 形が同じでも、意味が違えば個性です。意味が同じでも、形が違えば個性です。 当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、この事実を知っている人は、現時点では、まだ少数派です。 これ、すごいことを言っています。 もちろん、私ではなく、ソシュールが、です。 少なくとも、この事実を知ったとき、私は軽く身震いしたものです。 たったこれだけの補助線で、芋づる式に商品・サービスが作れてしまうのです。 元ネタと同じ形態に10個の違う意味を込めれば、それだけで10個の商品を作れます。 元ネタと同じ意味を10通りの違う形態で見せたら、それだけで10個のサービスを提供可能です。 恐ろしいことになりそうです。 さらに恐ろしいのは、これは「記号論」という、たった一本の補助線を充てた結末に過ぎないということです。 哲学的思考法を探っていくと、このような超ド級の補助線が、ゴロゴロ転がっているのです・・・。 ◆よくそんなアイデアを次々と思いつきいますね? 初めて会った人と一時間くらい喋って打ち解けてくると、たびたびこう言われます。 アイデアを量産できる秘密は、「思考の補助線」にあります。 思考の補助線については、これまで何度も企画化したので詳細は省きますが、簡単にいうと、一つの課題に対し、その解決の切り口となりそうな「補助線」を充てていくことで、何らかの糸口(ア イデア)を導き出していくというアプローチです。 その「補助線」は一つではなく、常時使い込んでいるものだけ20個以上もあるので、どんどんアイデアが生まれてしまうというカラクリです。 そんな思考の補助線は、最初の頃はインターネットを活用したビジネスで使い倒しました。 たとえば、「紙芝居方式」のブログサイトアフィリエイトという切り口は、『分解・再結合』という思考の補助線を使って思いついたものです。 これは後に、「シンプルショッピングアフィリエイト」という教材にまとめています。 あるいは、「あなたのオススメ商品を教えてください」というリスティング広告のアプローチは、『主客転倒』という思考の補助線を使ったものです。 この視点に基づくLP構成の一部が、「ブルーオーシャンPPC」でマニュアル化されています。 振り返ると、この十年間は、「思考の補助線」の実践と、その教材化に明け暮れた日々を過ごして来たといっても良いかもしれません。 特にこの二年間は、よりダイレクトに「思考の補助線」の効用をお伝えする企画を量産し、言わば、思考の補助線の普及活動といってよい日常を送るようになりました。 週刊パクリズム、週刊アイデア秘書、続アイデア秘書、企画を支配する企画、企画を武器にする講座、コンテンツ・パク理論実践講座、ノウハウコレクター集会所、Difference Maker・・・・ まだまだたくさんありますが、これらは直接的に「思考の補助線」なくしては成立しなかった企画です。 こんなふうに、私自身がプレイヤーとして取り組むビジネスだけでなく、そのプロセスをコンテンツ化することで、「思考の補助線」の恩恵を受けてきたのが私の十年です。 思考の補助線の良いところは、一つの課題に対して、瞬時に何個でも解決案を導くことが出来るという点です。 たとえば、「売れないLPを売れるようにするには?」という具体的な課題を解決する場合、「前提逆転法」「主客転倒」「人ずらし」「場所ずらし」「時ずらし」「拡大鏡」「分解・再結合」「to be continued」・・・・・といった20個以上ある補助線を次から次へとどんどん躊躇なく充てていくことで、スピーディーに解決案を叩き出していく、といったことをやっていきます。 慣れれば慣れるほど迅速に大量のアイデアを導き出すことが出来るようになり、率直言ってその中にはまったく使い物にならない駄作もあるのですが、『質量転化の法則』のごとく、やればやるほ ど思いもよらぬ解決策を必然的に導き出せるようになります。 このとき、私の頭の中では深い思考を巡らせているわけではありません。 正直に言うと、ほとんど何も考えていない、ぼんやりとした状態であると告白せざるを得ません。 思考の補助線というのは、使い慣れると、ほぼ機械的にアイデアを量産できてしまうのです。 それはまるで、一つの食材(=課題)を目の前にした料理人が、あまり深く考えもせず、包丁をはじめとする手持ちの料理器具(=補助線)を次々と手にしながら、何種類もの料理(=解決案)を 作り出す工程と似ています。 これが、私がアイデアを次から次へと思いついてしまう理由です。 このように、「思考の補助線」にはお手軽さがあります。ここが最大のメリットです。 毎日意識して使っていない人には、そのお手軽さがなかなかイメージできませんが、日常的に使い込んでいる人には、絶対に手離すことができない料理道具のような存在になってしまうのです。 ですが、そんな万能の料理器具のように思える思考の補助線にも、ほんの少しだけ弱点があります。 それは、課題が具体的になっていないと解決のしようがない、ということです。 食材が決まっていなければ、熟練の料理人でも料理しようがありません。 同様に、「問題の所在を明らかにする」という工程においては、思考の補助線よりも使える『道具』がどうしても必要なのです。 ◆思考の補助線最終章 問題の所在を明らかにする、そのうえで問題を解決する。 「課題の明確化」と、「解決策の具体化」の双方を迅速かつ正確に行える『万能の道具』があれば、従来の思考の補助線を超越した、【最強の補助線】となることは間違いありません。 そして、その正体が『哲学的思考法』から編み出された補助線であることは言うまでもありません。 本企画はズバリ、哲学的思考法という最強の補助線の使い方に特化した講座となります。 この告知レターの中ですでに触れた、「ブリコラージュ」「弁証法」「記号論」などは、使用頻度・特Aの補助線として、本企画の中核を構成します。 その他にも、経験論VS合理論(帰納VS演繹)、レヴィンの「解凍=混乱=再凍結」、デリダの「脱構築」など、本企画で取り上げたい補助線がいくつかあります。 こうした【思考の補助線を超越した補助線】を哲学的思考法の中に求め、それをマーケティング諸活動における「問題の明確化」及び「解決案の提示」まで一気に片付けようと試みるのが、本企画、 『哲学マーケティング』です。 これをもって、「思考の補助線」シリーズは、一応の区切りをつけることになるでしょう。 つまり、哲学マーケティングは、思考の補助線関連企画の【最終章】です。 ◆哲学マーケティングの概要 『哲学マーケティング』は、前期(2018年12月~2019年2月)、後期(2019年3月~6月)の7ケ月かけて、マーケティングの諸活動における課題の明確化&その解決案の策定について、「哲学的思考法」から編み出された数々の補助線を活用することでこれを実現するプロセスを事例ベースで解き明かす企画です。 基本的には、毎月1つのメインテーマに複数のサブ・テーマを関連付ける構成となっています。 毎月15日と30日に定期コンテンツを音声&PDF形式でお届けする他、サブテーマに関わる音声コンテンツを不定期にて配信することもございます。 また、過去の思考の補助線関連の講座のいくつかをサブ教材とすることで、従来の思考の補助線との関係性についてもクローズアップします。 今回は、現在も進行中の哲学マーケティングの前・後期合計13回分の内、前期(6回分)のコンテンツをまとめて提供いたします。 (概要) 第1話「哲学とは何か?」 (哲学者は発明者である/哲学的思考法は発想の道具である) ・音声   57分54秒 ・PDF資料 7頁 第2話「哲学者は水を差す」 ・音声   44分47秒 ・PDF資料 9頁 第3話「論語読みの論語知らず」 (ブリコラージュ思考/弁証法/記号論/易経) ・音声   86分44秒 ・PDF資料 14頁 第4話「議論の破壊屋、解体屋による圧倒的な時ずらし」 (思考の補助線としての脱構築) ・音声   46分57秒 ・PDF資料 8頁 第5話「ストロースとヤングと一劇筆札と」 ・音声  54分28秒 ・PDF資料 7頁 第6話「経験論と合理論、抽象と具象」 ・音声  45分03秒 ・PDF資料 5頁 ■特典(参考資料) ①思考の補助線ワーク、実践講座(思考の補助線完全習得ワーク収録動画&予備音声) ②コンテンツメーカー2016 ③コンテンツメーカー2017 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※哲学マーケティング【前期】を十分にお楽しみ、お役立ていただけましたら、【後期】へと進んでください。 毎日が新発売本舗 マツイヒロキ